「ハートの4だったと思う」
「思うってなに?」
「なんか。はっきり覚えてない」
「覚えてって言ったやん」
「うん。その瞬間は間違いなく覚えてた」
「意味がわからん」
柏和くんは呆れている。
新しい手品ができたからと、僕に披露してくれたのだが、ちょっとした手違いが起きたのだ。
「手違いってなによ? 手違いでもなんでもないやん。ねずみが忘れただけやん。自分が引いたカードを忘れるって有り得へんから」
「じゃあ。ハートの4だった」
「じゃあってなによ?」
「ハートの4で合ってる」
「なんか違うやん、そういうの」
「赤だったのは間違いないし、絵札でもなかったから、たぶんハートの4」
「いや。ダイヤも赤やから……!」
そう言い切ったところで柏和くんは、トランプの束をぶちまけた。
勢いのあまり1枚のカードが落ちた。
ちなみに僕は拾わない。が、少し気にはなる。
トランプの裏面にありがちなレトロで幾何学的な模様がちらりと見
柏和くんはというと、完全に意気消沈といった様子だ。それをアピールしたいのか、漫画みたいな声まで出した。
「あーあ」
もちろん彼の気持ちもわからなくは無い。でも、手品をする人は、
柏和くんが手品を披露していたとき、僕は『そう言えば奥の扉のカギ、どこに置いたっけ?』
冷蔵庫が開く音が聞こえたかと思うと、栓抜きを使う音がする。
柏和くんが瓶ビールを飲み始めた。100円玉5枚をカウンターに置く。(ビール代だ)
「きょうのビール、冷えてるやん。ええな」
おや。ちょっと機嫌が直ったのかもしれない。
「まぁ許さんけどな」
どうやら、機嫌は直ったらしい。自らがぶちまけたトランプカードを、
柏和くんは、僕と同い年の32歳。
ちなみに、僕は『東京でいろいろやってきた人』の『いろいろ』
「あ、そうや。
「そうなんだ。全然いいけど」
「一回連絡してあげて」
「え、こっちから? まぁいいけど」
「ゼロニーロクのーサンイチ……」
「くちで言われてもわかんないから」
「まぁ俺も電話番号とか覚えてへんし」
「なんなの!?」
僕は鍵屋だ。スペアキーを作ったり、カギの設置や修理、
「大家さんな……」
柏和くんの視線は、僕ではなく、真っすぐ遠くに向いている。
「離れて暮らしてる子供さんがおるんやけどな。
「なんで?」
「相続の話ばっかりするから。だから、家のカギ変えたいんやって」
「そうなんだ」
「切ないよなぁ」
「そうだね」
「カギ交換したってさ、会おうと思えば会えるやん。電話だってあるわけやし。誰にも言わんと引越しするとかじゃなくて、カギ交換するってさ、よくわからんやん」
「……」
「……でも。なんかわかるやん。その感じ。絶対会いたくないわけじゃなくて、あんまり会いたくないっていう。そういうニュアンスの感じ。だから切ないよなぁ」
柏和くんの目は相変わらず遠くを見ている。
僕はくいっと腕を伸ばし、少し長めのボールペンを使った。
「あっ!!」
表面を見ると、ダイヤの4だ。鮮明に記憶が蘇る。
「ダイヤの4!」
印籠を見せる御隠居様のごとく、僕がカードを向けると。ほぼ同時に、柏和くんの目がこちらにやってきた。
「せやろ!」
(つづく)
※筆・ワカバヤシヒロアキ
※筆・ワカバヤシヒロアキ