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【#2 架空ネオソホール日誌】 手品師



「ハートの4だったと思う」
「思うってなに?」
「なんか。はっきり覚えてない」
「覚えてって言ったやん」
「うん。その瞬間は間違いなく覚えてた」
「意味がわからん」

柏和くんは呆れている。
新しい手品ができたからと、僕に披露してくれたのだが、ちょっとした手違いが起きたのだ。

「手違いってなによ? 手違いでもなんでもないやん。ねずみが忘れただけやん。自分が引いたカードを忘れるって有り得へんから」
「じゃあ。ハートの4だった」
「じゃあってなによ?」
「ハートの4で合ってる」
「なんか違うやん、そういうの」
「赤だったのは間違いないし、絵札でもなかったから、たぶんハートの4」
「いや。ダイヤも赤やから……!」

そう言い切ったところで柏和くんは、トランプの束をぶちまけた。ネオソホールのバーカウンターの上を、するるとカードが滑っていく。古い木でできた穴だらけのカウンターでも、こんなに気持ちよくカードが滑るとは驚きだ。

勢いのあまり1枚のカードが落ちた。

ちなみに僕は拾わない。が、少し気にはなる。

トランプの裏面にありがちなレトロで幾何学的な模様がちらりと見える。やっかいな隙間に入り込んでしまった。本棚と床の壁の間の薄暗いところ。覆水盆に返らずと言わんばかりに、カードは永遠にあの場所に佇む運命のように思えた。

柏和くんはというと、完全に意気消沈といった様子だ。それをアピールしたいのか、漫画みたいな声まで出した。

「あーあ」

もちろん彼の気持ちもわからなくは無い。でも、手品をする人は、観客の記憶を頼るのが当たり前だと思っていないだろうか。こちらとしては、イリュージョンを披露してくれたらそれで良いのだが、なぜか参加型のショーに仕立て上げるから、こういった手違いが起きてしまうのだ。

柏和くんが手品を披露していたとき、僕は『そう言えば奥の扉のカギ、どこに置いたっけ?』と気になった。集中力がなくなり、自分の引いたカードの記憶が怪しくなってしまった。

冷蔵庫が開く音が聞こえたかと思うと、栓抜きを使う音がする。
柏和くんが瓶ビールを飲み始めた。100円玉5枚をカウンターに置く。(ビール代だ)

「きょうのビール、冷えてるやん。ええな」

おや。ちょっと機嫌が直ったのかもしれない。ちなみに、冷蔵庫の設定温度は変わっていないので冷え具合もいつもと変わらないはずだ。しかし、そんなことはいまどうでもよく。そのやわらいだ空気に便乗し、さりげなく謝りの言葉をかけておいた。ごめんごめん。

「まぁ許さんけどな」

どうやら、機嫌は直ったらしい。自らがぶちまけたトランプカードを、軽快な手さばきで片付けている。1枚を除いて。

柏和くんは、僕と同い年の32歳。20代の頃は東京でいろいろやっていたらしく、いまはネオソホールで時々、手品を披露している。(ワンコインマジックと言うらしい)

ちなみに、僕は『東京でいろいろやってきた人』の『いろいろ』を1ミリも信用しないことにしているが、『東京でいろいろやってきた』と自称する人のことは割と好きだ。非常に人間味あふれる人生を歩んでいらっしゃる。

「あ、そうや。うちのアパートの大家さんがカギ直してほしいって」
「そうなんだ。全然いいけど」
「一回連絡してあげて」
「え、こっちから? まぁいいけど」
「ゼロニーロクのーサンイチ……」
「くちで言われてもわかんないから」
「まぁ俺も電話番号とか覚えてへんし」
「なんなの!?」

僕は鍵屋だ。スペアキーを作ったり、カギの設置や修理、交換をしている。元々は『ねずみ鍵』という屋号で始めたが、怪しいマルチ商法のようだと言われ、『数守鍵店』にした。

「大家さんな……」

柏和くんの視線は、僕ではなく、真っすぐ遠くに向いている。

「離れて暮らしてる子供さんがおるんやけどな。もうあんまり会いたくないんやって」
「なんで?」
「相続の話ばっかりするから。だから、家のカギ変えたいんやって」
「そうなんだ」
「切ないよなぁ」
「そうだね」
「カギ交換したってさ、会おうと思えば会えるやん。電話だってあるわけやし。誰にも言わんと引越しするとかじゃなくて、カギ交換するってさ、よくわからんやん」
「……」
「……でも。なんかわかるやん。その感じ。絶対会いたくないわけじゃなくて、あんまり会いたくないっていう。そういうニュアンスの感じ。だから切ないよなぁ」

柏和くんの目は相変わらず遠くを見ている。

僕はくいっと腕を伸ばし、少し長めのボールペンを使った。カリカリと手繰り寄せると、落ちたトランプカードを拾うことができた。

「あっ!!」

表面を見ると、ダイヤの4だ。鮮明に記憶が蘇る。僕がつい先ほど引いたやつだ。

「ダイヤの4!」

印籠を見せる御隠居様のごとく、僕がカードを向けると。ほぼ同時に、柏和くんの目がこちらにやってきた。

「せやろ!」


(つづく)


※筆・ワカバヤシヒロアキ