奥行き感のある音色であふれていた。ネオソホールのステージには、ツツジちゃんが立っている。
ベージュの布に赤や青の刺繍がほどこされている、カラフルなポンチョ。彼女のステージ衣装だ。きれいな黒髪は三つ編みに束ねられ、リズムに合わせて左右にスウィングしている。手に持っているのは、長さの違う管がたくさん集まった不思議な楽器。パンパイプと言われる管楽器らしく、正式名称を「サンポーニャ」というらしい。
ツツジちゃんに会わなければ、決して知ることがなかったであろう「サンポーニャ」。アンデス地方の民族楽器だそうだ。
フォルクローレを5曲演奏したところで、この日のライブは終わった。ツツジちゃんの人懐こい性格がまわりを引き寄せるのか、客は30人くらいいた(柏和くんのマジックショーは客が0人のこともあるのに)。
ローカルなライブハウスは、奏者と客の距離も近く、ライブが終わってから1時間以上談笑が続く。ツツジちゃんは誰にでも愛想が良く、心の底から「みんな大好き!」があふれている。
結局、すべての客が帰ったのはライブが終わって3時間が過ぎていた。(熱心なツツジファンの女性が1人いて、ずっとおしゃべりが止まらなかった。フォルクローレについても熱く語っていた)
「今日はありがとう。ねずみくん」
「いえいえ、良かったよ」
「本当に思ってる? 音楽好きじゃないんでしょ?」
「好きじゃないわけじゃないから。ただ禁止してるだけ」
僕は、ネオソホールで音楽ライブを開催しないことにしている。地元で活動しているバンドマンが何組かいるらしく、ライブを開催させてほしいという話はあったが全て断った。
だが、唯一例外として認めているのが、ツツジちゃんだ。初めて会った時、いきなりサンポーニャなんて不思議な楽器を見せられて、妙に興味が出てしまった。
いざ吹いてもらうと、その伸びやかな音色は、まるで大地を揺るがす風のようであり。不覚にも自分の心が踊ったのがわかった。
優しかった。
「ねずみくん。……奥の扉って何があるの?」
「奥の扉?」
「ほら、ステージの後ろの壁にさ、鍵ついてるじゃない。あれって何?倉庫?」
サンポーニャも不思議だが、ネオソホールもなかなか不思議な建物だ。ステージの後ろに、なぜか小さい部屋がある。
「ドラムとかしまってあるみたい。オーナーさんが言ってた」
「へぇ、そうなんだ。見てみたいな」
「だめだよ」
「なんで?」
「鍵、無くて開けられないから」
「え!? 鍵屋なのに?」
もちろん、鍵は開けられる。ちゃんと鍵はある。ただ、どうしても嫌なのだ。
「とにかく、ダメ。ドラムなんて見たくない」
「……何か、あったの?」
「ドラムやってる人に、ろくな人がいないでしょうよ」
「そんな事ないでしょうよ」
「ドラムばっかり叩いてる人って、ろくな人じゃないでしょうよ」
「何度言われても、その理屈よくわからないでしょうよ」
僕が生まれた家にはドラムがあった。父はいつもドラムを叩いていた。うるさかった。
父とは対照的に、母は朝から夜まで働いていた。
小学生くらいになって理解したのだが、父はバンドマンだった。と言っても、子供を養えるような収入はなく、正直なところ、いつも父が何をしているかわからなかった。
時々、家に帰ってきては、ひたすらにドラムを叩く。やがて、母と僕と妹を置いて、再び家を出て行く。
家には防音室があり、ドラムセットが置かれていた。そんな部屋が作れるほど裕福だったとは思えないが、僕が生まれるより前からあったらしい。
僕が中学生になったばかりのある日、家のドラムがなくなった。母が売ったのだ。
その夜、父の怒号が続いた。防音室の防音機能は失われてしまったのかと思うほど、狂気に満ちた声が僕の耳をつんざいた。
「ま、いいよ。ドラムは諦める。フォルクローレを好きでいてくれるなら、それでいい。オッケー!」
そう言うと、ツツジちゃんはそっぽを向いて、ヒョロローっとサンポーニャを短く吹いた。音色は、奥の扉に向かって進み、壁に遮られて音が終わった。
(つづく)
※筆・ワカバヤシヒロアキ